塩冶掃部介墓
付近住所 島根県安来市広瀬町
尼子経久が、守護代の職務を怠ったとして、罷免、追放された後、目代として富田城に入城していた塩冶掃部介は1486年(文明18年)尼子経久の奇襲を受け討死した。
土地の人は、この墓を、「荒法師」と呼び、みだりに荒すと、たたりがあると言い伝えている。